アートと社会をコトバでつなぐ「〜アートは時代の先をゆく〜」

芸術活動家(普段は外資系企業の会社員)mikimalismのアートについて考えるブログです。

現役☆銀座の画廊スタッフに聞く☆「絵画の探し方」「アートの楽しみ方」

【第13話】「芸術」と「経済」は一生交わることのない世界

昨日はアートを極めて極めないと、

社会と接点を持てる(すなわち社会で認められる)ようにならないといけなくて、

そのためにはすご〜〜〜くハードルが高いということを語ったわね。

 

そうそう。

アーティストとして生きていくことは、

自分の芸術性を追求して、

感性に正直になって、

時には独りよがりチックにならないといけないけど、

それがどのポイントで社会に浮揚するかわからない。

そして、生み続けなければ、偶然でしかなく、

必然的なアートにならないと瞬く間に埋もれて消えてしまう。

 

とはいっても、自分の芸術がどの分野で、どのように活かされていくかを決めるのは、

結局、多数派との対話でしかないと思うんだけど、

日本社会は真面目だからか?アートに対して開かれていない。

 

余談だけど、世界で最も?くらい曖昧な言語を使っていて、

思いやりとかニュアンスが伝わりやすい文化だと思うのに、

なんで抽象的な非言語のコミュニケーションである芸術には興味ないの?って感じ。

それは金銭と結びつけてはならない崇高なものだから??とか考えてるのかなあ。

自分とは関係ないと思っているのかなぁ。

なんか、「貧しさは美徳」と「拝金主義」の両極端の考えが眠っている気もする。

カジュアルにシンプルに豊かさを楽しめられたらいいのに、と私は思うんだけどなぁ。

 

そんなわけで、

今の一般社会のスタンスは、

アートはアートの世界でどうぞ、っていうのが結局オチだし、

デザインと何が違うの?っていう質問もありえる。

 さらにはどれだけの効果(利益)が見込めるの?

とか役に立つの?なんて指摘も。

 

リアルな芸術の世界と、リアルな社会は、まず出会わないし、

結局、お互いの言っていることがわからないから我慢出来ず、

なかなかお互いが強調して歩むべき道が見出せない。

これが現状なのではないかなと思う。

 

私はまだ広い意味でも狭い意味でもアートが社会にどのように活かされるべきか、

結論がでてないけど、

アートが根付く社会を運営・循環させていく為には、

「芸術」と「経済」の手を握らせて、

二人乗り自転車みたいに上手く走らせて行くには、

相っ当。

いや、もう一回。

そうっとう!!!!

大変だと思う。

 

いろ〜〜〜んな人とたくさ〜〜〜んの人の力が必要だし、

無償での労働や働きかけも必要かもしれないし、

既存権力との闘いも目に見えてる。

そこまで社会をど〜〜〜んと変えられるくらい

影響力やパワーを持ったリーダーになるのは、

大統領になるより大変かも。

 

ああ、考える度にどんどん頭の中では壮大になっていく「アート」と「社会」の問題。

 

「わたし」レベルでの実現可能な道をこれからも考えていきたいと思います。

 

 

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