アートと社会をコトバでつなぐ「〜アートは時代の先をゆく〜」

芸術活動家(普段は外資系企業の会社員)mikimalismのアートについて考えるブログです。

現役☆銀座の画廊スタッフに聞く☆「絵画の探し方」「アートの楽しみ方」

【第19話】そろそろ夏も終わり

気付いたら8月もあと少し。

相変わらず、日々色んなことを考えているけど、

ぼーっとしたり、

絵を描いたり、

夏休みで自然をたっぷり堪能したりで、

リフレッシュしてきた。

 

そんなこんなで、ごちゃごちゃしてた頭がすっきり。

やっぱり考えるのは大事だが、考え過ぎもよくない。

都会にいると、常にモノやヒトや情報に溢れていて、

何かしなきゃ、何か考えていなきゃってなるけど、

一歩離れるとそんなこと全く不要だったことに気付く。

 

お恥ずかしいけれど、山梨にいた時、

時代を流れるもの、上質なものや美しいもの、情報が集まるのも結局東京で、

地方コンプレックスというか東京以外の目は向いていなかった。

 

だけど、自分にとって心地良いものって、

結局ものすごくシンプルで上質で自然なもので、

いくつかだけでいいと分かった時、

東京の過剰さもちょっと変かもと気付いた。

東京というか、都市の構造的なものなのだろうけど。

 

だけど、ますます強まるのが、

自立した働き方をしたい!!!!

っていう想い。

 

どう考えても雇われて働くのは本心と一致しない。

本当に本当に自分のやりたい分野と給料と裁量が、

ある一つの会社と完全一致するわけがない。

まぁ、普通はこういうの我慢して働くんだろうけど。

 

みんな人間的に健やかに本気で生きていきたいと思っているのに、

なぜか自戒的な働き方で自らを苦しめている人が多い気がする。

 

そりゃあ数字的な経済成長を予測したり計算したりしている人は、

全て計算して割り振って、それをまた誰かが割り振ったりしているから、

現実的な社会は死活問題なのも分かる。

 

けど、社会の生産能力はどんどんAIに変わって、今までの経済成長と質が変わってきているし、もう一方の現実社会の方に人間は実在して、生きている。

 

だから、頭の中での現実社会が成熟した社会は、今生きている現実社会にそろそろ近づけた方がいいし、それはもしかしたら後退していると思う程、シンプルなものなのかもしれない。

 

言論の自由だから書くけど、勝手に未来予想。

 

50年後とかそこらへんには、「働きたい人が働く社会」が来る気がする。

AIが生活のための最低のインフラ賃金を稼いでそれを生活者に分配して、

或いはAIの利益分配権を買えるようにして、

プラスαで残りは好きな仕事についたり、ビジネスを創造して収入を稼ぐ。

 

別に働いている人が偉い訳でもなく、やってみたいから働いたり、より多く消費したいために働く。

 

そんな世の中がくるといいな〜〜。(お茶すする。)

 

ということで、まだ来ぬ世を夢見るよりも、現段階では自由な働き方を得るのは一握り。

たっくさんのトライ&エラーの上に成り立つものだ。

ということで、とりあえずあるサービスを始めてみた。

 

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【第18話】一本の線から始めることができなければ何事も為せない

そう、これは私が社会に入ってから、

また美術に戻って来て学んだこと。

 

芸術の世界(色んな芸術があるけど)って本当に旧態依然としている。

情報も技術も半世紀位遅れている、、ように感じる。

 

最先端アートには空間を活用しての大規模なプロジェクトマッピングとか、

今話題の落合 陽一さんとかのシャボン玉に投影するメディアアート的なやつとか、

テクノロジーとともに進むアートのかたちもある。

 

そこまでいかなくても?

というか、まぁ色々調べてみると、

壁掛けの絵画風の映像投影機(ニュアンス伝わる?)だったり、

Creema的なC to Cでの絵画販売サイトも海外ではたくさん見つかる。

要するに、アートも時代と共に変化し、

新しい価値観や楽しみ方が生まれて来ていると言っても過言ではない。

 

その中で、典型的な油絵だったり、水彩だったり、

「ザ・絵画」的な芸術を扱うところにいる私は、、どないするんや!(笑)

やはりビジネスとしてもはっきり言って旧態依然としていると思う。

 

ただ、時代がタイムスリップしたような感覚の中で、

それなりにみえてくるものもある。

 

社会の5/1くらいのスピードで進む中で、

じっとーーりと色々な絵画を見つめていると、(笑)

筆跡が伝わってくる。

 

最近、ついに自分でも絵を描きたいという想いが蘇って来て、

ちゃんと再開してみたのだけど、アクリルなのに、

それでも!!ものすごいめんどくさい!(笑)

まず、画材やさんにいってたくさんの画材から道具をセレクトして買ってくる。

そこもなにげに頭使うし。

自分の浮かぶイメージを保ちながら、

下地塗って、下書きして、一色一色理想の色を作って、

キャンバスの上で形作っていく。

油絵の場合、乾かすのにもさらに時間かかるからね。

そして、私のは裸だけど、額縁とかもこだわってたら、、ほんま大変や。

 

色々頭の中で合理的に考えて無駄を省きながら生きている私だけど、

頭の中では描きたいイメージが次々と湧いている。

だけど、それをひとつの作品に仕上げていくのが、ものすごい体力と神経使うのよね。

 

当たり前だけど、どんな作品にも最初の一筆があって、完成地点(画家はなかなかそこを決められないが)が存在する。

忘れていたけど、そういえば小学校の頃はちゃんとものの成り立ちとか仕組みを勉強していたよね。

ところが、どんどん賢くなって、面倒くさいことを省いて快適に生活をしていると、

例えば、牛丼っていうものが牛丼として受け取るようになる。

どんどん元を辿れば、牛と米と自然に辿り着くという、当たり前のことに気付く。

 

ぱっと魔法みたいに美しい絵が出来上がるのではなく、

誰かがゼロから作品を作り上げている。

そういう目で是非、名品と呼ばれる絵画を観て欲しい。

 

世の中でも同じ。

ぱっと成功した(ように見える)人がどんなに羨ましくても、

魔法みたいに成功は生まれない。

まやかしのものはすぐに消えていく。

物事を為すには大河の一滴から始まることを知り、

飽きずに徒労を重ねる。

 

あ〜私もまだまだたくさん、信望と鍛錬がなきゃ、

何もできないな〜〜と反省。

 

つづく

 

【第17話】恋心と拒否反応をみつめる

大事。

自分が何に惹かれて、

何を拒絶するのか。

 

 ただ、それを始めると、

色々な自分の側面や、社会の現実に気付いてしまう。

そして主張を持ち始めてしまう。

 

だが、権力を握る人にとっては、それが面白くない。

情報メディアで単一的な価値観を作り出し、

不平不満を言いながらも社会のレールに従って、

よく働いてくれる人を良しとするのである。

 

このメディアの話はよく言われていることで、

まっさかと思っていたが、

一時期全くテレビを観なくて、

yahoo!ニュースとかBBCとかネットのニュースしか見ないようにしていた時期があったけど、

確かに事足りるし、自分で物事を考えたり判断したりする力は増す。

 

あとね、ここだけの話、

悲しいニュースを聞かなくて良いのが精神的に楽かも、、。

のちに言葉について書こうと思っているが、言葉の力はもの凄い。

ありきたりだけど、どうして悲しいことばかりがニュースに取り上げられて流すのか、、。

それはこういう事態に気を付けなさいね、なのかもしれないけど、

人間的な感情としては一緒に苦しみなさいね、に聞こえてしまうんだよ、、。

優しい人?感性豊かな人ほどニュースとかメディアによって、悲しみや怒りの感情をたっぷり吸い込んでしまう。

だから、たまにはあえて自分にとってネガティブな情報を自動的にシャットアウトするのも大切。

 

ただ、何となく寂しい時にテレビ付けてたりすると、

人の気配がして、何となく落ち着くのもわかるんだけど。

 

話が大きくなり過ぎたかもしれないが、

個人レベルでのものさしをしっかりと作ることは、

自分への自信にもつながるし、

人生を豊かにすることだと思う。

 

毎日、毎日、色んな絵画をみて、

やっぱりこの「感じ」が好き、

とか、「色使い」が好き、っていうのもあるし、

観ていたら段々と好きになっていったっていうのもあるし、

どうにも良さが理解出来ない、っていうのもある。

 

私の場合、いつ観ても心がキューンとなるのは、

ラファエロ

ウォーターハウス

オキーフ

 

そこからどうしてこの空気感に恋をしているのか、

どこに共感して「LOVE」が湧き出てくるのか、

見つけてみると面白い。

 

それは、自分の顔の造形だったり、生い立ちや思考だったり、

飼い犬だったり、どこかしらにポイントが潜んでいる。

それこそが、自分の核となるアイディアだったり価値観だったりする。

 

もちろん、マグリットとかフランツ・マルクとか、

色々「これも好き〜〜♡」と思える作家を挙げればキリがない。

現代アートな気分の時もある。

だけど、安定的にいつも好きかと言われると残念ながらそうではない。

 

反対に、どうしても理解できないアートもある。

はっきりと嫌いなのはまだいい、

本当に自分が受け入れられないのは「興味が持てない」ものだ。

いつみても心の中には留まらずスルーしてしまう、

そういえばここにあったのか、そんな作品がある。

それは自分の中の「拒否反応」だ。

 

田舎くささなのか、貧しさなのか、色使いなのか、

どこかに受け入れられない感覚と価値観が存在する。

 

日本にも世界にもごまんと芸術活動を行っている作家はいる。

有名なものだけがアートではない。

色々な芸術をみて、そういう探し方をしていると、

意外と人生の柔らかな変わり目を作ったり、

社会のルールや考えに惑わされない人生の嗅覚を養ったりするものなのだと思う。

 

ということで、ちょっと今日は核心をついたお話でした。

そういうことを伝えられる為に自分が何が出来るか、

こうやって言葉に出すことでモチベーションを保てます。

よし、ありがとう^^
 

 

 

【番外編】スリランカとアート

またまた海外シリーズ。

といっても、今日はアートは関係ない。

なんかこの暑さともやもや感で、

びゅーんと海外に行ってしまいたい気分で、

私が今までに行った中で一番心の平安を体験した国、スリランカ

それを賞賛するだけの話。(笑)

 

名前から美しいの。

 

スリ(美しい)ランカ(国)

 

そんなスリランカでは、

ラピュタっぽい自然と建造物が一体化したような寺院やスポットがたくさんで、

森も海も美しい。

おまけに私の大好きな紅茶と宝石とアーユルヴェーダが有名。

 

もちろん、日本ではみたことのないような貧しい人々の姿もあるし、

至る所に物乞いをする人がいる。少なくとも私が行った2012年には。

 

私は美しく心が綺麗になる感覚をしたけど、

もちろん現地にはそうでなく日々の生活の苦しみを感じている人々がいることもわかっている。

電車も外国人とかVIP?用の車両と、いわゆる一等車、二等車みたいな感じに分かれてて、その一番安い車両に詰め乗る人々の何とも言えない表情は、、何とも言い難い。(笑)

 

そして、私が結構ショックだったのは野犬。

日本だと野良犬は駆除されて見かけないけど、

あっちだと至る所にボロ布っぽい見た目になっちゃってる犬がいて、

猫ちゃんが何か食べているのを横取りして奪ってた。

なんか、やっぱり日本ではやっぱりペットの印象が強い、

いつもフレンドリーな印象のわんちゃん←が、

弱いものを威嚇して食べ物を奪うなんて、

この国では動物の心も貧しさに喘いでいるのだ、と感じた一瞬だった。

日本のペットたちは愛情を受け取っているから、

ご機嫌でいられるのね、、。

 

ともあれ、日本とかけ離れた自然の豊かさと美しさが存在して、

私は本当に気に入った。

自然の色彩が、photoshopで言えばぐっとsaturationをあげたような、

ジューシーな色合い。

それに負けずとこんがりと深い色に輝く人々の肌と、大きな瞳。

 

一生に一度は泊まってみたかったヘリタンス・カンダラマ。

そこまでの道なき道の中で

導くように行く手をひらひらと舞う蝶の姿と、

どこからか聴こえてく鳥の最高にのびやかなさえずり。

 

天国とか楽園ってこういうところなんだな、、って本気で思った。

 

帰ってからまたアーユルヴェーダを学び始め、

スリランカの暮らしに憧れる日々。

その熱がまた少しやってきた。

 

あ〜〜また行きたい。

 

そんな思い出に浸りつつ、

今日はおしまい。

 

 

【第16話】和をもって尊しとす?

前回は組織の話を書いたので、

そこからうっすらと続き。

 

「和をもって尊しとす」

 

えっと、、、だれが言ったんでしたっけ?

そう、聖徳太子さま。

 

良い言葉だよね。

 

私は

色んな組織に属してみたわけだけど、

そうだな、と思う事がある。

 

政治の世界でも、ビジネスの世界でも、多分同じ。

儲けるってことは、ネット証券とかは別だけど、人で儲けるところが大きいと思う。

つまり、どんどん人から人へと繋がりを広げて、

皆と仲良くなれば、色々な情報やビジネスの話や

それ以外にも、、分からないけど、プレゼントとか特別な体験が待っている。

そうやって好循環を起こしながら、個人レベルでの経営は回っているのだと思う。

 

そう、重要なのは、人と仲良くなる力。

 

私の父は金銭的に人並みはずれて裕福ではないけど、

とにかく、この天才的なまでのコミュニケーション能力がある。

誰からも好かれて、特別な体験をいつもしていて、本当にすごいなーと思う。

 

汝、隣人を愛せよ

 

そんな感じだよね。

それは、いいの。すっごくいいこと。

 

でも、その和をもって尊しとすの力が、

内向きに働いて、極めて幼稚な馴れ合いを要求されることは私にとって苦痛だ。

結局、頭ひとつ抜け出ようとする人の足を引っ張り、

怠惰な循環に巻き込む組織になることがある。

一般社会から隔離された環境で、

感情で判断する人が多いからかもしれない。

 

でも、そもそもクリエイティブな力は次の時代を創っていくパワーだと思うし、

それは突然変異のように既存の「和」を脱却する力だと思う。

もちろん色んな考えはあるものの、

その創造の源泉であるべき芸術の業界では、「和」を乱さないものが受け入れられ、

それ以外はアートとしての価値を認められない。

みんな、水面下で何度も頭をぶつけて、ついには沈んでしまう。

 

芸術的な価値観を持っている人はこのジレンマを経験したことがあるかもしれない。

 

でも、やっぱり本質をもっともっとよく見つめて、追い求めていくべきなんだと思う。

それが芸術でも、個人の働き方・生き方でも。

 

そんなぼんやりとした決意あらたに、ゆるっと日々過ごしていこう。←

【第15話】脱却とアート

ここから抜け出したい

重くてやるせないものを突き破りたい

話し合いでは平行線をたどる人たちになんとか想いを伝えたい

ちっぽけな一人の存在から、多くの人を痺れさせて気付かせる特効薬になりたい

 

こんな感じがアートの源泉だと思う。

 

例えば、草間彌生さんのアートな生き方。

私は草間彌生さんとっても好きで尊敬していて、

「わたし」サイズで実行していきたいと思っている。

 

今だから言っていることが分かる。

VOGUEのインタビューで言っていたこと。

 

最後の日まで闘う。

芸術が愛と平和をもたらす。

この気持ちは後世の人たちに何百年も何千年も受け取って、

作品を観てほしい。

死の彼方まで永遠につきることない人間の創造性と悲壮性に、

心打たれて生きていってほしい。

 

みたいなことをおっしゃっていた。

多分、分からない人は一生分からないし、

多分、「変な人だ」とか思う人もいると思うけど、

私は芸術を信じるものとして、

かよわくてたどたどしい口調に、

ものすごく純粋で強い心のありように感動を覚えた。

 

女性だからという理由で日本の美術業界での偏見と苦しみを体験し、

社会への絶望でひたすら作品制作に没頭してた時代や、

NYでの名だたるアーティストとの交流や活動があったからこそ、

逆輸入的な形で今(といっても結構前からだけど)再注目されて、

日本が口を揃えてクサマヤヨイの名を叫ぶようになっている。

 

本当に自分の想いが伝わって受け入れられているのか、

多分複雑な気持ちだろうけど、

それでも世間を振り向かせたという意味では堂々の勝利だ。

 

アーティストは何に闘っているのか。

その答えはやっぱり自分にしかなく、

人から見たら「わざわざ苦しい生き方をしなくても」と思うくらい、

それでも常に社会の何かに矛盾と突破したいものがあって、

そこからくる自分の反応を作品に変えているのだと思う。

 

私も日本の美術業界に対しては矛盾と憤りを抱える場面もある。

でもだからこそアートのインスピレーションが浮かぶようになってきたし、

それを具体化することもできる。

でも、既存のルールと組織のやり方に正直頭打ちを覚えることもあるし、

もっと構造改革から変えるべきところもある。

そうしたら逆に外から、

芸術で社会にインパクトを与える方法はないかと思っているが、

美術業界を離れた瞬間、

アートの筋肉が衰えてしまわないかということと、

閉鎖的な組織に締め出しをくらうことが不安なのである。

 

どっちつかずで悶々とする日々も意外と大切な時間なのかもしれない。

 

 

 

【第14話】デンマークと日本

私は高校時代から今までに

ヨーロッパ、アメリカ、中東、アジアの中で

16カ国を旅したことがある。

 

まぁ多いとみるか少ないとみるかは、

あなた次第(笑)

 

その中で今日は、デンマークと日本についてのお話。

 

言葉では言い表せないほど、

街中に溢れる「豊かさ」と「柔軟性」

 

ごめんなさい、歴史背景とかGDPとか細かいアレは分からないんだけど、

なんだろ?

平和って何かと考えた時に、

私はこの北欧の国を想像する。

 

なんでだろ?

 

自転車置き場から、実用的なプロダクトから、トイレから、

至る所に「デザイン」と「遊び」があるから?

 

壮大な面積と自然に囲まれて

息の詰まる程うっとりする装飾的な美術で溢れた

お城(フレデリクスボー、クロンボー)があるから?

 

なんだろう、どこに行ってもどんな天候でも、

街の空気が美しい。

 

銀行とか案内所的なところでも、

2011年のスペインみたいに

人はイライラしていない。

ほんまに平和。(に見えた。)

 

もちろん、観光客としていったから美しく見えるということは大いにあるし、

私がもともとヨーロッパ文化に憧れていることも関係している。

それにしても、だ。

 

でもここにヒントがあると思う。

おそらく、おそらくだけど、デンマークという国はクリエイティブ思考が根付いているのだと思う。

それは具体化された製品や街並なども然り、

おそらく社会の構造もうまく「デザイン」されているのだと思う。

 

 「こうあるべき」とか権力とか利害とかジェンダーとか一切関係なく、

こうしたら便利だよね?心地良いよね?っていう感覚を引っ張ってくれるリーダーがいて、

それを多数の国民がagreeする。

そんな世の中なんじゃないかな??

って想像だけど、

もし詳しく知っている人いたら教えて下さいm(__)m

 

そのデザインする感覚って大事だし、

その良いデザインって、技術とかアートとか色々関係していると思う。

 

とにかく、何もまとまらない記事になってしまったけど、

デンマークに行ってその空気に触れた時に、

 

「うわっ!豊かさってこういうことだよね。」とショックを受けたのと、

 

「でもその恩恵を受けられるのってデンマークに生まれて死ぬ人々なんだよね」っていうはがゆさと、

 

「あ〜、一生デンマークで暮らしたいわぁ〜〜」という切ない憧れと、

 

「うーん。でもなんか、、、健康過ぎて悔しい!!」っていう謎の憤り。(笑)

 

そうそう、やっぱり日本がデンマークに学べるところもたくさんあると思うんだけど、

ちょっと不健康気味な日本も、多分、個性を活かしながら心豊かな社会目指して脱却できる方法もあるはず。

 

和食も世界遺産に認定されたしね。

ちょっと皮肉っぽいことを言うけど、

やっぱり日本って地味だなと思うことも多くて、

もともと資源にたっぷり恵まれてないし、

ずっとぽつんと島国だったし、

でも水面下では莫大な技術と神髄というかそんなものが隠されていることって多い気がする。

 内に内に向かって触手が伸びていくタイプね。

 

ところが、太陽いっぱいめいっぱい、お花も野菜もよく育つ欧米では、

たくさんのカラーとキラキラ感で、

外に向かってPRしたり装飾するのが得意で、(個人的主観です笑)

ずばり視覚的にリッチなのよね。

 

そんな欧米文化も入って来て、日本人はさぁタイヘーン!っていうことが、

なんかもう今もうっすら続いている気がする。

やっぱりグローバルに全く別の文化や考え方の国々と肩を並べることは、

魅せ方・伝え方を工夫したり、

自信を持って強く主張すること、、大事だもんね。

 

そんなこんなで、国際問題に突入したアートブログ、、。

こんなブレーンストーミング的な感じで、

ぶっ飛んだりしながら、まだまだ続きますよ〜〜〜。

 

 

 

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